こうして「虐待の無限ループ」は、いつまでも続くことになる

昔の家庭では「三世代同居」がごく普通でした。

子育て素人の父親母親を補助する形で、爺さん婆さんがいました。

いつの頃からか「核家族」が主流になり、

家族の「縦軸」が失われるとともに、適度な「躾」も失われました。

現在の統計では、子供を虐待する親は、幼児期に虐待を受けた人が圧倒的です。

「躾」と称して子供に手を挙げたり、ネグレクトしがちなのですね。

親である限り、本能的に子供を愛する感情が備わっていると思いがちですが、

それはまったくの見当違いという他はありません。

親は子供を産んだからと言って即親になるわけではありません。

子供の無理難題に直面して、悩みながら親として成長するのです。

現に「子供を愛せない・愛し方が判らない」という母親が多数存在しますね。

彼ら・彼女たちは、そもそも親から愛された経験が乏しい場合が多く、

子供時代に肌感覚で身についた「愛情の原体験」がないんですな。

一方、子供が泣いたり、阻喪したりするのは当たり前じゃないですか。

泣くには泣くだけの理由があるのに、幼い頃に叩かれた経験しかないために、

自分も叩いたり怒鳴ったり無視したりしてしまうのです。

そんな親に育てられて、子供は何を拠り所に生きていけばいいのですか?

基本的に、恐怖を身に着けて育っていく他ないじゃないですか。

そんな子供たちが成長の後、どんな大人になると思いますか?

人間とは、そもそも自分が育てられたようにしか子供に接する他ありません。

基本チャートがないために、彼らは身についた「咄嗟の対応」ができないのです。

一方、幼少時代にたっぷりの愛情を注がれて育った大人は、

「咄嗟の対応」がごく自然に出るのです。

虐待を受けて育った大人たちは、子育てに自信がないために、

大人の理屈で無理やりいうことを聞かせる、つまり「虐待」を「躾」と勘違いしたり、

無原則的にモノを買い与えたりすることを「愛情」と勘違いするんです。

彼ら・彼女たちは、決して「バカ」でも「冷酷な人間」でもなく、

ただ「本能的な子育てチャート」を持たないだけなのです。

こうして「虐待の無限ループ」は、いつまでも続くことになるんですよ。

こういった危機的な問題に対処するためには、

かつての爺さん・婆さんに代わる何らかの「お節介システム」が必要でしょうね。

明治23年に日本を訪れた英国の女性旅行家、イザベラ・バード女史が、次のように驚きを述べています。

「我が国の子育てとは全く違っていて、日本人は子育てに鞭を使わない。

親が子供たちを可愛がること著しく、叱るのも口で譴責するだけである」

「英国の子供たちに比べても、日本の子供たちは非常に素直で、心から大人たちを信頼している様子が明らかに見て取れる」と。

訪日外人がこのところ急激に増えていますが、彼らが異口同音に感動するのは「子供たちの笑顔」だそうです。

 

まだまだ日本は素晴らしい国です。いつまでもこれが続くようにしたいものですね。

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