水場に住むのはやめましょうよ

去年、大雨にて堤防が決壊して浸水した、倉敷市真備町のハザードマップの画像です。

海抜1m…😢 ここに住宅地作る事自体が有り得ない…(紫は5m以上水没)

「被災地に千羽鶴を送られても迷惑だし邪魔」という意見がありますが、被災地に千羽鶴を送る人が救援の邪魔になるほど大量にいるとは思えないし、ある程度被災地の状況が落ち着いたら目に見えない寄付金より送り主の気持ちが伝わり易い千羽鶴の方が癒される被災者もいる気がします。
金を出す人、労力を出す人、千羽鶴を送る人、ただ祈る人、色んな人がいていいじゃないの。

大規模な災害のたびに巻き起こる、

『被災地に千羽鶴を送ることの是非』

の議論については、被災者を思う気持ちと現実の救済に役立つ資金という両方の価値観を尊重して、
一万円札で作った千羽鶴を送れば誰も文句を言わないって結論がとっくの昔に出たはずなんだけど、みんなもう忘れちゃったのかね。

あと、ボランティアや寄付の物資が次々届いて様々な道路に置かれ、救助隊の車が通れなくなったそうです。

非常時は心の満足より効率優先しないと、人が次から次へと死ぬので、思いやりとか感情とか無視した方が良さそう。

例えば、
手術の最中に医師免許もなしに「愛情があるんだから手伝わせろ」という人が来たら邪魔者でしかないし、それが息子や親でも手伝って手術して欲しくない。

小学生が一生懸命集めた千円の募金より、金持ちが売名のためにポンと出す1億は多くの人を救う。

世のため人のために医者になった「三流」の医師より、
高い収入が目的で医者になった「優秀」な医師の方が多くの命を救う。

つまり、

「価値を持つのは心や名誉ではなく、 結果!」

って道徳の教科書に書いといて欲しい。

「名を取るか実を取るか」と言う言葉がありますが、
最近、名誉ばかり追い掛けて、中身すっからかんの人が多くてガッカリしてます💦

名だけでは人を救えないのににゃ。

名だけで大して資金力が無かったら安全な場所に住まいを構えられないから家族も守れないのでは?
子供がいたとしても、資金力が無かったら子供を進学させたり海外留学させられますかね?

『カネのために仕事をしてるんじゃない。世のため人のためにやっている!』

というセリフは、殆どは稼げないことの言い訳なのだと思います。
社会との繋がりや社会貢献をする目的だけなら、ボランティアのほうがもっとより大きな繋がりや貢献が出来ますよ。

あと、お金をたくさん稼いでから社会貢献をすれば、地域に学校や病院を建ててあげたりして、もっともっと大きな社会貢献ができるのに。

なので私はいつも、

『カネのために仕事をしてるんじゃない。世のため人のためにやっている!』

というセリフを聞く度に、殆どは稼げないことの言い訳なのだと感じてしまいます。
こういうこと言ってる人に限って、一攫千金を狙って宝くじ買ってたりするので信用ならないのです。

あと、このような言葉を発する組織に限って何故かやたらと税金が流れていたりもします(笑)

 

 

カネのためだけの仕事は虚しいけど、稼げず再生産できない仕事は害悪だよ?

二宮尊徳が言うように、

『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言』。

社会起業家がブームになった時に、
『我々は社会のために働いています』ってドヤ顔してた起業家が沢山いたようだけど、普通の起業家だって顧客にサービス提供し、雇用を創出し、税金を納めて、十二分に社会貢献しているよ。

皆が社会貢献を敢えて強調しないのは、陳腐過ぎて口にするのが恥ずかしいからだよ。

社会的成功って一般的には経済力と地位や名誉を意味するのだろうけど、
経済力は幸福には必要でも、地位や名声は幸福を毀損するイメージしかないです。

目立っていいことなんか何もないし、名声なんてちょっとしたことで悪名に反転する諸刃の剣。

結局、こっそり稼いで目立たず生きるのが一番幸せなのら歴史が証明しています。

他人から認められたい、社会から認められたいっていう承認欲求、名誉欲が強すぎることが不幸の源泉になっているということは、ショーペンハウアーが著書『幸福について − 人生論』の中でしつこいぐらい論じていますから、他人からの評価をついつい気にし過ぎてしまう人には一度読んでみたほうが良いと思います。

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